Vamos福島
平穏な生活の陰で  ~知らない日本の今~
昨日そして今日の話題のトップニュースと言えば・・・・・・・

ロシア大統領の日本訪問、そして、それに伴う日露首脳会談! その主な内容は・・・・・・・

それにしても、昨日今日と取り立たされているロシア大統領の時間のルーズさ。日本到着しかり、会談の始まる時刻しかり・・・・・

「このルーズさは、大統領の【癖】なのかそれとも【人間性】なのか、はたまた、【精神戦(じらし作戦)】なのか・・・・」

報道番組のキャスターの語る言葉は様々で・・・・・・・


しがないいち日本人である私が、そのことに関してどうのこうのと宣うのは全くもって言語同断なことであるのは百も承知の助であるが(笑)、敢えて言わせて頂くなら、

私は時間にルーズな者は絶対に許せない!  私は時間にルーズな生き方は絶対にしたくない!

そんな感じであります。


だから何!? ですが、私はそうだ! それだけです!!(苦笑)



日本とロシアがこのような会を設ける時に必ずと言っていいほど話題になること。

それは【北方領土問題】。もちろん、今回も・・・・・・・  恥ずかしながら、そのネーミング!?は何度も何度も聞いたこともあるし、なんとなくその問題の大まかなところは分かっているような気がするのですが、詳細までは・・・・・ 日本人としてこのことを語れないのは恥ずべきこと! そうなのかも知れませんが、実状は前述の通りでありまして・・・・・(泣泣)

【北方領土問題】とは  ※外務省のホームページより

(1)日本はロシアより早く、北方四島(択捉島、国後島、色丹島及び歯舞群島)の存在を知り、多くの日本人がこの地域に渡航するとともに、徐々にこれらの島々の統治を確立しました。それ以前も、ロシアの勢力がウルップ島より南にまで及んだことは一度もありませんでした。1855年、日本とロシアとの間で全く平和的、友好的な形で調印された日魯通好条約(下田条約)は、当時自然に成立していた択捉島とウルップ島の間の国境をそのまま確認するものでした。それ以降も、北方四島が外国の領土となったことはありません。

(2)しかし、第二次大戦末期の1945年8月9日、ソ連は、当時まだ有効であった日ソ中立条約に違反して対日参戦し、日本がポツダム宣言を受諾した後の同年8月28日から9月5日までの間に北方四島のすべてを占領しました。当時四島にはソ連人は一人もおらず、日本人は四島全体で約1万7千人が住んでいましたが、ソ連は1946年に四島を一方的に自国領に「編入」し、1948年までにすべての日本人を強制退去させました。それ以降、今日に至るまでソ連、ロシアによる不法占拠が続いています。



同じ日本人でありながら、今なおにこの問題で苦しんでいる日本人たちがいる!そのことを痛切に感じていない日本人の自分がいる。

話題を代えて言うなら、同じ日本人でありながら、北朝鮮への拉致問題で今なお苦しんでいる日本人たちがいる!そのことを痛切に感じていない日本人の自分がいる。

更に話題を代えて言うなら、同じ日本人でありながら、沖縄の米軍基地問題で今なお苦しんでいる日本人たちがいる!そのことを・・・・・

更に更に話題を代えて言うなら、同じ日本人でありながら、熊本地震や広島の山崩れ等々自然災害で今なお苦しんでいる日本人たちがいる!そのことを・・・・・

更に更に更に話題を・・・・・・・・  同じ福島県人でありながら、3.11東日本大震災の原発事故の影響で今なお苦しんでいる福島県人がいる!そのことを・・・・・・・



そのことを貴方が考えたところで、思いを馳せたところで一体どうなるのか!???


確かにその通りです。無力で地位も名誉もないしがない一日本人である私が何を思おうが何を叫ぼうが・・・・・・・


けれど、自分の今の平穏な生活の陰には、数多くの様々な苦労や苦悩etcがうようよと蠢いていると言うことを何かにつけて認識すると言うことは、とても大切なことだと思うわけで・・・・・・・・


だからと言って何をどうするかなど・・・・・・   


何を言いたいのか自分でもよく分かりませんが、昨日今日のニュースを見ていて、なぜだかこんなブログを書きたくなった次第でありまして・・・・・・


しがない一日本人の戯言です。けれど、精一杯の思いです。





北方領土問題を取り上げたアニメーション映画があったことを恥ずかしながら今回初めて知りました。

近いうちに、しっかり拝観したいと思っています。(Youtubeで動画配信されているのを見つけましたので)

【映画の主なストーリー】
『1945年(昭和20年)春。オホーツク海に浮かぶ北方四島のひとつ・色丹島は戦時中とは思えないほど静かだった。純平と寛太の兄弟は島の防衛隊長をしている父から毎晩『銀河鉄道の夜』の朗読を聴かされるなど、健やかに暮らしていた。しかし、同年8月15日の終戦を機に生活は激変する。同年9月に島はソ連軍が上陸し全土を占領、島民の財産も没収された上に大事な収入源である漁業も禁止された。島の小学校にはソ連軍人の子女が加わるが子供たちは島民の心配をよそに彼らと交流を深めようとする。』

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