Vamos福島
がんばれ! なでしこJAPAN!!
いよいよ明日から『2015女子カナダワールドカップ』の開幕!

がんばれなでしこJAPAN! 連覇を目指せなしでこJAPAN!! 4年前の歓喜をもう一度!!!

そんな開幕を記念して、キャプテンとしてチームを牽引する、そして、この大会で輝きを放つであろう、宮間あや選手のこのような記事を見つけたので紹介します。(宮間選手のジュニア時代のエピソードです) ※長い長~い文章となります。途中で飽きそうな方は読むのをお止め下さい!<苦笑> ただし、本気でサッカー選手になる夢を持つ子供たち、そんなお子さまをお持ちの保護者の方、目先の勝利よりも子供たちの将来を見据えて『育成』に重きを置いて日々指導をされている指導者の方々は必見です!!<笑>



【何に関しても負けず嫌いだった】

──サッカーを始めたきっかけは?

 サッカーをやっていた2歳上の姉がきっかけで小学校1年生のときに始めました。姉の同級生が遠くまでサッカーをしに行っているという話を聞いた父がサッカークラブを作り、そこで男の子に混ざってプレーをしていました。

──当時はどんな小学生でしたか?

 リフティングが好きだったんで、休み時間になったら男の子と競争したり、ほとんど女の子と遊ぶことはなかったですね。誰にも負けたくないという気持ちが強い子でした。競争というよりは友達があれをできたなら、私はこっちができるようになろうと思っていました。サッカーに限らずカードゲームで負けたら、カードをぐちゃぐちゃにしたりしていました(笑)。

──当時コーチをされていたお父さんとはどんな思い出がありますか?

 父というよりは、コーチという意識が強かったです。サッカーの基本的な技術や考えなど全部、父に教えてもらったと思っています。父の元を離れていろんな指導者の方に出会う中でも、「父から聞いたことがあるな」と思うことが多かった。

──お父さんに言われていたことで印象的な言葉はありますか?

「自分以外の選手のために戦えるようになりなさい」ということを常に言われていました。当時は父も現役でプレーをしていたので、父から学んだことは多かったですね。平日は父が仕事で忙しかったので、家に帰ってからの練習は母に手伝ってもらっていました。

──お母さんにはどんな形で手伝ってもらっていたんですか?

 一緒にボールを蹴ってもらったり、投げてもらったり、上手く蹴れるかを見てもらっていました。一番いい練習になったと思うし、こんなのができるんだよというのを母に見せるのも嬉しかった。たまにダメ出しもされたり、いい緊張がありました。

──ご両親といい関係だったんですね。
 
 私はああしなさい、こうしなさいと言われるのが大嫌いなんですが、両親からは一度も言われたことがなかった。父や母を含めて、周りの大人からは「あやが良いならそれで良い。自分で決めなさい」といつも言われていました。そうやって言い訳できない環境だったのも良かったです。



【ただただサッカーが好きだった】

──小学校のときに所属していたフッチボールSurfはどんなチームでしたか?

 チームの教えは“親が口出しするな!”ということでした。サッカーについては、絶対に親が何か言ってはいけないというチームの約束事があって、保護者の方にはいつも優しくがんばれと声をかけてもらったり、ケガを心配してもらったり、陰ながらたくさんサポートをしてもらいました。試合や練習の度に持ってきてくれる麦茶がとてもおいしかったのを凄く覚えています。

──小学生時代は伸び伸びとサッカーを楽しんでいた感じですか?

 そうですね。大会でも絶対に勝てとは言われませんでした。「勝つのは大人になってからで良い」というのが父の教えでした。他のチームが走りこんだり、負けるなとベンチから言われているのを見ていたけれど、私たちはそれがまったくなかった。

 そのおかげで早くにサッカー選手として完成しなかったし、常にまだ成長できるという意識を持っていられたのかなと思います。当時、凄いなと思っていた選手でも、早くにサッカーを辞めてしまった例をたくさん見てきました。

 自分たちのチームは大半が大学まで続けた選手が多い。サッカーをずっと好きでい続けるためには良かったなと思います。

──サッカーが好きという気持ちが宮間選手をここまで支えてきたのですね。

 自分がただただ好きだったからここまで来られたという言い方もできると思うんですが、家族であったりチームメイトであったり、いろんな人とのめぐり合いがあったからここまで来られたと思う。

 能力があってもトップに行けない選手は多いので、自分は本当にラッキーだなと思います。サッカーをしていなかったら出会ってなかった人がほとんど。本当にサッカーをやっていて良かったなと思います。



【小学5年生にして“世界”を知った】

──小学生のときには「サッカーで世界一になる」と宣言されていたそうですが、当時からプロを目指していたんですか?

 先のことは何も考えていなかったです。世界一になりたいと言いながら、プロになりたいとかもまったく思っていなかったですね。

──印象的な思い出はありますか?

 5年生のときに国際交流イベントで県の選抜チームの一員として、アメリカで試合をしたことです。私はそれまでは田舎の小さなチームでやっていたので、自分が一番上手いと思っていたし、全国大会にも出たことがありませんでした。

 サッカーが上手な女の子が全国にたくさんいることを初めて知ったし、海外で同じ年とは思えない体格の選手たちとプレーしたことで、もっとサッカーがしたいと思うようになりました。

──こだわっていたプレーはありますか?
 
 ドリブルですね。今みたいにマーカーとかがある時代ではなかったので、空き缶を置いてやっていました。トヨタカップで初めてデル・ピエロ(元ユヴェントス)を見て以来、海外の映像を色々、見るようになって、マラドーナ(元アルゼンチン代表)のプレーをよく見て、真似していました。

──映像などはよく見ていたんですか?

 めちゃくちゃ見ていました。TSUTAYAで借りてきたり、お父さんやお母さんにお願いして試合を録画してもらったり、チームメイトの男の子から借りたり。夜は絶対にサッカーを見てから寝て、次の日、みんなと真似してみるという感じでした。

──イメージ通りプレーできていましたか?

 今よりできていました。その頃は見たことはすぐにできたり、昔のほうが断然上手かったですね。小・中学校時代は吸収力もあって、体力的にも時間的にも一番サッカーができる年代だと思うし、一番楽しかったですね。私は練習と遊びの境目がなかったので、毎日絶対サッカーをしていました。



【身近にいた“偉大”な先輩】

──中学生のときに日テレ・メニーナに入団して、女子のチームでプレーを始めました。何か心境の変化はありましたか?

 初めて練習参加したときに、トップのベレーザでプレーさせてもらったんですが、プレーが速かったり、サッカーが全然違って驚いたのを覚えています。当時は特に前線で待つことやサイドバックの上がりもなく、守るのも攻めるのも全員が一生懸命やるという感じだったんでビックリしました。

──印象的だった選手はいますか?

 やっぱり澤(穂希・INAC神戸レオネッサ)さんですね。私が入ったときは一緒にいて、私がベレーザに上がるときにアメリカのチームに移籍してしまったんですけど、オフに帰って来る度に向こうで学んだことを教えてもらっていました。当時、大野忍選手(オリンピック・リヨン)とともに“チビ”って呼ばれて、ご飯に連れていってもらったりしていました。

──プレー面では、どんなことを教えてもらいましたか?

 ただボールを一緒に蹴るだけでも嬉しくて仕方なかったのですが、一番忘れられないのがキックです。当時の日本はグラウンダーのパスが良い、ボールを浮かすなというのが主流だったんですけれど、ボールが浮いていても味方に到達するまでに地面に落ちなければそのほうが速いということを教えてもらいました。

──最後に、サッカーをがんばる子どもたちへのメッセージをお願いします。

 サッカーを楽しめとよく言われると思うんですけど、サッカーに本気で向き合って欲しい。笑うだけが楽しいじゃないと思うし、勝つことも負けることも含めて本気でサッカーと向き合わないと勝ったときに負けたチームの痛みもわからないと思います。





日本の第1戦は来週火曜日午前11:00~(現地時間は19:00) vs スイス戦

子供たちよ、先生に頼んでサッカーの体育の授業と言うことにしてもらい、テレビを見せてもらいなさい!!(笑笑)
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